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ダークソウル世界観考察

罪の火とイザリスの因果

 

 

はじめに

結局、罪の火って何だったの?という疑問があります。一応、作中では「罪の都を焼いた」「人々だけを焼いた」「消えない火」などなど、説明はされているのですが、これらの説明はどこか遠回しで、核心をついていません。ではそれが全く中身のない設定なのかというと、私はそうではないと考えています。ここには過去作品から受け継がれた“ある文脈”が生きていると思うのです。本考察はその解説になります。あくまで罪の火を理解するうえでの材料的な考察になるため、罪の火の正体については深く踏み込んでいません。いずれそちらの考察も書きたいと思っていますが、最初なのでとりあえず部分的にまとめてみました。

 

追尾する火

罪の火はつかみどころのない概念ではありますが、これを理解するうえでひとつ大きなヒントになっているのが、罪の都の宮殿入り口に配置された炎です。「いかにも」な場所にあるこの炎は、罪の火の説明のひとつと合致する特徴を備えており、しばしば罪の火と同じものあるいはそれに近しい物として見られることがあります。

 

炎が放つ火球はただ真っ直ぐ飛んでくるのではなく、プレイヤーを追尾するように飛び、また、誘い頭蓋を撒けば火球はその場所に飛んでいくようになります。つまり火球は明らかに「人に反応」しており、これが「人々だけを焼いた」という罪の火の性質を再現していると考えられるのです。

罪の火を灯すといういくつかの武器、ガーゴイルの灯火槌や火刑の芒の戦技が、どれも追尾する炎を放つものであったことから考えても、罪の火と追尾性には確かに関連があると言えそうです。そしてこの追尾性という観点から罪の火をみると、興味深い落とし所があることに気付きます。それは「魔術」です。

 

罪の火と魔術

追尾性は魔術の専売特許です。代表的なところでは「追尾するソウルの塊」や「深みのソウル」があります。そしてそれらの魔術は不思議と罪の火とゆかりのあるケースが多いのです。たとえば「追尾するソウルの塊」はローガンの魔術とされますが、罪の都の宮廷魔術師たちはまさにそのローガンの後継を主張する一派です。「深みのソウル」は冷たい谷のマグダネルが大主教たちに伝えたとされる魔術ですが、冷たい谷はサリヴァーンが罪の火を広めた地です。

これを踏まえたうえで呪術「罪の炎」に着目すると、一見なんでもないこの呪術の見方が少し変わるはずです。『3』では通常、呪術を扱うにあたって理力と信仰の両方を求められることが多いのですが、この呪術は一切の信仰を必要としないばかりか、必要理力が呪術のなかでは飛び抜けて高く、また、標的のいる場所に爆発を発生させるという芸当は、要は「生命に反応する」ということであり、追尾する魔術と本質的に似ているとも解釈することができます。手元や周囲にただ炎を発生させる呪術という業のなかにおいて、それは明らかに異質な性質です。

そして「罪の炎」はそのモーションや性能から『2』に登場した「炎の鎚」との類似性を認められますが、この呪術を作り出したストレイドは単なる呪術師ではなく、あらゆる魔術と呪術に精通した異能の“魔術師”だったといいます。

オラフィスに招かれた流浪の魔術師ストレイドは、いくつかの魔術と呪術を生み出したといいます。そのうち明らかにされている魔法は4つ、「漂う火球」「炎の鎚」「追尾するソウルの矢」「ソウルの閃光」です。そのうち少なくとも3つが生命に反応する性質をもっていると見ることができるうえ、「漂う火球」は「追尾するソウルの塊」、「炎の鎚」は「罪の炎」、「追尾するソウルの矢」は「深みのソウル」といったように、不思議なことに類似する魔法がことごとく罪の火に関連する魔術に集中していることが分かります。

 

魔術師になった聖職者たち

さて、罪の火が追尾する性質をもっている可能性があること、魔術との何らかの関連が示唆されていることについて述べてきました。この点を踏まえ、罪の火の舞台となった罪の都と冷たい谷のイルシール、このふたつの都で活躍した魔術師たちに焦点を当ててみると、彼らにはある共通点があったことがわかります。

前述の通り、かつて罪の都には宮廷魔術師たちがいたとされ、彼らはローガンの後継を主張していたといいます。興味深いのは、彼らが魔術師でありながら神官でもあったという点です。しかし魔術と奇跡は相容れないものであり、特殊な例を除いて両立することは普通ありえません。宮廷魔術師エーメンを例にみると、案の定彼は奇跡を一切使わず、その代わりにローガンの魔術を操ります。ということは彼らが神官とは名ばかりの魔術師だったということになりますが、しかし邸宅のなかには確かに高位の奇跡「神の怒り」があり、神官であることを偽っていたわけでもないようです。

 ローガンの後継を名乗った宮廷魔術師たちにも
 三分の理ていどはあったようだ

ローガンのスクロール (DS3)

この齟齬を説明するものが、ローガンの後継云々の文脈であると思われます。このテキストを「盗人にも三分の理」という本来のことわざの意味に則って解釈するなら、彼らの魔術師としての性格はローガンの魔術をどこかから手に入れたことによる後付け的なものだったと見ることができます。そして宮廷魔術師の装いが神官のそれであったことを踏まえると、彼らは魔術師である前に神官だったはずです。つまり宮廷魔術師たちは、ローガン魔術を見いだしたことで神官としての本分を捨てた“元”神官たちなのです。

しかしなぜ彼らは神官としての本分を捨ててまで魔術に傾倒するようになったのでしょうか。ここで考えてみたいのが、同じく罪の火の関係者である「火の魔女」たちも、宮廷魔術師たちと同じように、聖職者から魔術師へ鞍替えをしていたという点です。

 法王の騎士を率いた魔女たちは
 元は聖騎士に叙されたものだが
 すぐに罪の火に心奪われたという

火の魔女の兜 (DS3)

罪の火を掲げ、触媒によって魔術を操る火の魔女たちは、もともとアノール・ロンドの神々に仕える聖騎士でした。彼女たちはサリヴァーンによってイルシールに持ち込まれた罪の火に心奪われ、聖職者であることを辞めて魔術師に鞍替えしたのです。

宮廷魔術師と火の魔女の両者の鞍替えが罪の火の影響によるものなのであれば、その原因は罪の火側の“都合”にあったはずです。つまり罪の火が魔術の領分であるが故に、それを扱おうとする彼らが魔術師に近づいていったと考えることができるのです。

罪の火が魔術の領分、このことを更に裏付けているのが、罪の火の関係者のなかで唯一最初から魔術師だったサリヴァーンが、イルシールにおける罪の火ブームの火付け役になったという事実です。なぜ絵画世界からきた部外者である彼が、イルシールの民を差し置いて最初に罪の火の有用性に気付くことができたのでしょうか。サリヴァーンとイルシールの民、この両者の差異を考えたとき、要因として浮かび上がってくるのが魔術の心得の有無です。サリヴァーンはイルシールを訪れた当時若き魔術師でした。これに対して、イルシールの民は魔術の心得を知らない聖職者がその大多数を締めていた可能性が高いのです。なぜなら、イルシールは古い信仰の地であり、信仰とは相反するものである魔術は忌避されていたはずだからです。つまりイルシールには、罪の火の有用性に気付くことのできた一人の魔術師と、気付くことのできなかったその他大勢の非魔術師という構図があったとみることができます。このことが示唆しているのは、罪の火が魔術の知識なしには扱えないもの、あるいは魔術師にしかその価値を理解できないものだった可能性です。

 

過去の因果

ここで一旦話を最初に戻しましょう。「人々だけを焼いた」という記述から罪の火と追尾性を結びつけて考え、罪の火と魔術の関係性について触れてきました。しかしこれだけではやや穿った見方であることは否めません。そこで今度は全く別の視点から罪の火をみた場合でも、似たような考察ができることを解説していきたいと思います。

別の視点、それは罪の火の舞台となった罪の都はそもそもどのような舞台として演出されていたのかという点です。地の底というロケーション、カタリナ騎士によるイベント、食欲を司る奇妙なエネミー、そして炎によって滅びた都というプロット。これら一連の符号から一つ言えることがあります。それは罪の都が『1』の廃都イザリスの流れを汲む舞台として演出されているということです。

もちろんふたつの都に直接的な関係はないのでしょう。しかし、そこで起きた出来事が文脈を同じくしている可能性は十分考えられるのではないでしょうか。緑衣が言ったように、ダークソウルは同じことが繰り返される世界です。不死の英雄がグウィンを斃して最初の火を継いだその時から、望むと望まざるとにかかわらず、世界は同じ火の時代を繰り返し続けました。そういった世界観のうえに成り立つ物語であることを考えたとき、この符号の一致は決して無視できるものではないはずです。

 

イザリスと炎の魔術

罪の都が炎によって滅びたように、廃都イザリスもまた炎によって滅びた都であると伝えられています。いくつかのテキストや会話によると、イザリスは自身のソウルを使って「最初の火」あるいは「自分だけの炎」を作り出そうとしたらしく、その過程で事故は起きました。彼女の火は彼女自身に牙を向き、娘たちもろとも都を地獄に変えてしまったのです。

そしてやはりここにも魔術の気配がありました。「炎の魔術」です。作中では炎のスペルは専ら呪術に限られるため、私たちがそれを扱う機会はありませんが、かつて魔女たちは触媒によって炎を意のままに操ったといいます。

少し話が逸れますが、炎の魔術が「魔術」を冠することから、よくシースと結びつけて考えられることがあります。しかし結論から言うと両者に関係はないと私は考えています。それはダークソウル世界の魔術が、実態のない「論理」にすぎないからです。

 魔術とは論理的な学問体系であり
 その威力は術者の理力に依存する

強いソウルの太矢 (DS3)

ダークソウル世界における魔術とは「論理的な学問体系」であるといいます。それはオカルト的な魔術というより、我々の世界でいうところの科学に近いものです。魔術が色濃い場所に天球儀や顕微鏡などの自然科学に関連した道具がみられるのは、魔術の本質が、自然科学がそうであるように、自然法則を解明することにあるからです。言い換えれば、自然のなかに存在するソウルや音、光や炎といった現象を、どの方向からどれくらいの力を加えればどう変化するのかという「論理」によって御する業、それが魔術なのです。シースが魔術の祖とされるのは、我々の世界でガリレオが科学の父とされるのと似ています。つまりシースは未知の法則に気付いてそれを研究していたという意味では確かに祖ですが、現象そのものを作り出したわけではないのです。おそらくは「魔術」という概念も人間がシースの研究を勝手に解釈して作り上げたものであるはずです。そういう意味では、人間にとってシースは正しく魔術の祖ではあるのですが。

 私の母イザリスは、かつて最初の王の1人だった
 最初の火のそばで、ソウルを見出し、その力で王になったんだ
 …そして母は、その力で自分だけの炎を熾そうとして
 …それを制御できなかった

イザリスのクラーナ (DS1)

話を戻します。クラーナの話によると、イザリスは火を「制御」することができなかったために事故を引き起こしたといいます。制御ということはそこに合理的なアプローチが介在していたことを意味し、イザリスが火を作りだすために炎の魔術を用いていたことを示唆しています。つまり炎の魔術は決して攻撃にのみ用いられた業ではなく、炎を理解し制御するための業であり、イザリスはそれを火を人工的に作ることに応用したのです。

 呪術とは、炎の業、炎を熾し、それを御する業だ
 だが、いいか。これだけは覚えておけ
 炎を畏れろ。その畏れを忘れた者は、炎に飲まれ、すべてを失う
 もう、そんなものは見たくないんだ…

イザリスのクラーナ (DS1)


 炎の制御を知り、また制御できぬを知る 呪術とはそういうものだ

薙ぎ払う炎 (DS3)

イザリスが高度な魔術を用いたことは、後の「呪術」がなぜ原始的な業に回帰したのかという理由にも繋がっています。というのも、呪術は事故の後にクラーナによって編み出された業ですが、会話の節々から分かるように、彼女はイザリスの行いを省みていたようで、呪術は炎の魔術に対するカウンターカルチャーという側面をもっているのです。呪術の教義である「火の畏れ」とは、要は「罰が当たるかもしれないから火はほどほどに利用しろ」という素朴な警句であり、それはイザリスの失敗を間近で見ていたクラーナだからこそ得られた教訓であるはずです。つまりクラーナからみてイザリスの炎の魔術は明らかに「行き過ぎた魔術」だったのです。

しかしイザリスとて元々魔術に傾倒していたわけではありませんでした。宮廷魔術師たちが神官から魔術師へ鞍替えしていたように、イザリスもまた祈祷師から魔術師へと魔術的性格を変化させていた痕跡が見受けられるのです。

 

ふたつの杖

『3』に登場したイザリスの杖は、名前や見た目などは『1』のものと同じですが、その能力補正にユニークな特徴をもっていました。『1』のイザリスの杖が理力補正だけをもつのに対して、『3』のイザリスの杖は理力補正にくわえて信仰補正を併せ持っているのです。テキストによれば、杖が信仰補正をもつ理由は、魔女たちが祈祷師でもあったからだといいますが、しかしこの説明は同時に、信仰補正をもたない『1』の杖を扱った魔女たちが祈祷師ではなかったことを示唆しています。

 イザリスの魔女が混沌に飲まれる前
 まだ娘たちが炎の魔女だった頃の杖
 呪術はまだ生まれておらず
 彼女たちの杖も魔術の触媒であったが
 その炎の魔術は完全に失われてしまった

イザリスの杖 (DS1)

 イザリスの魔女たちが用いたという杖
 遥か昔、混沌も呪術もまだなかった頃のもの
 後に混沌の火を生み出した彼女たちは
 魔術師であると同時に祈祷師でもあり
 故にこの杖は信仰補正を持っている

イザリスの杖 (DS3)

ふたつの杖のテキストを比較したとき、そこで説明されている「時期」に微妙な違いがあることに気付きます。『1』の杖が「混沌に飲まれる前」を説明しているのに対し、『3』の杖は「混沌がまだ無かった頃」を説明しているのです。これは一見同じ時期を説明しているようにも読めますが、魔女が混沌に飲まれた時期と混沌が生み出された時期のあいだに隔たりがあるとすればどうでしょうか。その場合、このふたつの杖は全く異なる時期について説明していることになります。

宮崎氏によると、爛れ続けるものは「混沌の炎が不安定だったころ」に生まれてきた最初のデーモンであるといいます。不安定「だった」ということは、その後に安定的な時期が訪れ、そこから生まれてきた個体もいたはずです。炎に適応していることが安定した混沌から生まれてきた証拠なのだとしたら、まず間違いなくデーモンの炎司祭がそれに当てはまるでしょう。彼もまた最初のデーモンであるといい、纏った炎に適応しているからです。

炎の魔術の知識は魔女とともに失われたはずであり、炎司祭が炎の魔術を学ぶためには魔女が健在である間に生まれていなければ辻褄が合いません。廃都イザリスやデーモン遺跡にデーモンを模した像が作られていることからも分かるように、ある時期においてデーモンと魔女は共存していました。すなわち、魔女が混沌に飲まれた時期と混沌が生み出された時期のあいだには、ある程度の隔たりがあったのです。

つまり混沌の火(炎)には不安定な最初期と、安定した中期、そして暴走を起こした末期があったと考えることができます。この時系列に前述の杖の話を照らし合わせて考えると、『3』の杖は初期以前のもの、『1』の杖は末期のものということになり、ふたつの杖はそれぞれ年代の異なる杖であると考えることができます。そして、初期以前に作られた杖にあった信仰補正が末期に作られた杖からは消えているということは、それはつまり、混沌を制御する過程で魔女たちの祈祷師としての性格が廃れていたことを意味するのです。

これは次のように解釈できないでしょうか。はじめイザリスは炎に「お願い」する祈祷師であり、だからこそ原初の呪い(まじない)は不作為な「嵐」の姿をしていたが、あるときから合理によって炎を制御することを覚え、それは嵐のかたちを「球」や「鞭」に変え、終いには伝統的な祈祷師としての性格を廃れさせ、原初の呪術は魔術へと変異し、火を作るという目的を叶えるための合理にのみ傾倒していった、と。

ここまでの話をまとめると、罪の都と廃都イザリスはそのどちらもが特別な火によって滅んでおり、それを扱う者が等しく魔術に傾倒していた節がみられます。そして「因果が繰り返される」という世界観を考慮するならば、このふたつの都で起きた出来事は明らかに文脈を共有しており、イザリスにとっての「最初の火」は、宮廷魔術師たちにとっての「罪の火」であり、それを扱う鍵となるのが「魔術」だったということで共通しているはずです。そしてそこから見えるのは「魔術によって火を作ろうとした者に“罰”が当たった」という文脈です。

 

忘れられた罪人と魔術

最後に『2』における文脈を確認して終わりたいと思います。イザリスの因果の残滓として描かれる『2』の忘れられた罪人、彼女の素性は誰も覚えていないとされていますが、テキストの情報を注意深く繋げていくと、実は十分に考察することができます。彼女の素性はかつてオラフィスで迫害を受けた魔術師、その統率者です。

ドラングレイグの南端から海を渡った先、そこにメルヴィアという国があります。メルヴィアは魔術と呪術が栄える魔法先進国として知られ、いくつかの高名な魔法院を擁しています。魔法院はいわゆる大学機関であり、魔術の研究や魔術師の育成が行われているほか、占星術や指輪技術など、さまざまな分野に精通しており、その豊富な知識を称えて「魔法院の叡智」と呼ばれます。

 魔法院の遠い始祖にあたる人々は
 北の海から流れ着いた罪人であったとも言われるが定かではない

静かに眠る竜印の指輪 (DS2)

そんな魔法院の遠い始祖にあたる人々は、北の海から流れ着いた「罪人」だったといいます。メルヴィアからみて北の海の先にあるのはドラングレイグなので、罪人はもともとドラングレイグの地にいた人々であることが分かります。「定かではない」とされていますが、この話の信憑性を示すかのように、ドラングレイグの南端には人々を海に送り出す隠れ港と、罪人を収容するための忘却の牢があり、そこには次のような伝説が残されていました。

 

 番人は牢から溢れた人々を粗末な船に押し込み遠洋へと送り出した
 その多くはそのまま海に没したが僅かな生き残りは南方に流れ着き
 かの地に魔術を伝えた

トゲ棍棒 (DS2)

 かつての王は近海を荒らしまわる蛮族を捕え
 牢獄に閉じ込める代わりに隠し港での労役にあたらせていた
 恐怖と猜疑心に囚われた王はあらゆるものを呪いの源と疑い
 特に魔術を操る者たちは厳しい迫害を受けた

蛮族の直剣 (DS2)

南方の「かの地」とは、明らかにメルヴィアのことを指しています。また「魔術を伝えた」とあり、牢にいた罪人たちの素性が魔術師であったことが示唆されています。これを裏付けているのが「蛮族の直剣」のテキストです。王は呪いから国を守るためにあらゆるものを牢に閉じ込め、特に魔術師を厳しく迫害していたといいます。つまり、魔法院の遠い始祖にあたる人々は、かつてドラングレイグにあった国で迫害された魔術師たちであり、彼らの知識がメルヴィア魔法院の魔術や呪術、占星術や指輪技術などの「魔法院の叡知」を形作ったと考えることができます。

 ストレイドは万の知識を買われ古き国オラフィスに招かれたが
 その優れた力はむしろ畏れられ愚劣な罠に陥れられた

黒衣のフード (DS2)

そしてかつてドラングレイグの地には「叡知」を誇った国がありました。オラフィスです。オラフィスについて分かっていることはほとんどありませんが、唯一明らかなのがストレイドとの接点です。ストレイドは万の知識を買われてオラフィスに招かれた大魔術師でした。オラフィスはおそらく彼を宮廷魔術師のような地位で召し抱えたのでしょう。そして言うまでもなく、オラフィスはストレイドの叡知によって発展しました。つまりメルヴィアの叡知はオラフィスの、そしてオラフィスの叡知はストレイド個人に根差しているというわけです。

オラフィスの末期は前述したように、呪いを恐れた王による叡知の迫害でした。ストレイド自身もその例に漏れず、罠にはめられて石にされていたことを考えると、迫害はよほど無差別なものだったのでしょう。魔術師が特に厳しい迫害にあっていたということは、当時の魔術師たちの統率者にあたる者は最も厳重に幽閉するべき対象として見られたはずです。それが誰かは分かりませんが、確実にいたであろう魔術師たちの統率者、それが忘れられた罪人の正体であると私は考えます。

 昔ね、あなたみたいな不死を
 封じ込めようとした人間がいたわ
 全部閉じ込めてしまえば、
 それで済むとでも思ったのかしらね
 大きな牢獄を作って…
 でも結局、何もかもムダだったんだけど
 その牢獄のずっと奥に“忘れられた罪人”がいるのよ
 はじまりの火を生み出そうとした、バカな罪人がね

愛おしいシャラゴア (DS2)

不思議な猫シャラゴアによると、忘れられた罪人は「はじまりの火」を作り出そうとしたした罪によって幽閉されたのだといいます。つまりイザリスがそうであったように、彼女は合理(魔術)によって最初の火を作るという野心を抱き、それによって我が身を滅ぼしたのです。彼女の場合はそれが幽閉という結果に繋がったという点でイザリスのそれとは異なりますが、これだけでも十分文脈を共有していると言えるでしょう。そしてそれが示唆するのは、罪の都で起きた出来事もまた「魔術によって火を作ろうとした者に“罰”が当たった」という文脈に準じているということです。

 

予見されていた罪の火

呪術「罪の炎」がストレイドの「炎の鎚」と類似していることを先に述べましたが、実はもうひとつこれに類似したものがあります。それはデーモンの炎司祭が使う「炎の魔術」です。彼の使う魔術はいくつかの種類があり、そのうちのひとつに炎の鎚と酷似した技があるのです。少しメタなことを言うと、おそらくこれが炎の鎚ー罪の炎のアイデアの原形なのだろうと私は思っています。イザリスの因果と魔術が密接に関係しているという文脈があるからこそ、ストレイドの呪術のひとつに炎の魔術の流れを汲むものがあるのです。そしてこの文脈は『3』で「罪」というテーマのもとに再構築され、私たちの前に提示されたのです。

おわりに

以上です。結論に乏しい考察で申し訳ありません。罪の火の正体を炎の魔術と言い切ることもできたのですが、まだこの理屈だけでは補足しきれていない要素があります。それが「闇」です。混沌の炎が人間性によって力を増すことは知られていますが、それと同様に罪の火にも人間性の闇が深く関わっていることが随所にて示唆されており、おそらく罪の火の正体を断定するためには、その文脈の先を説明する必要がありそうです。そして私はまだそれをまとめきれていません。いずれにせよ、ここまで読んでくださった方がいればお礼を申し上げます。ありがとうございました。